【アーカイブ】益救嶋 遣唐使を導いた海上の高峰
講師:小原比呂志さん
屋久島野外活動総合センター=YNAC
北海道出身。1987年屋久島に移住。日本のエコツアーガイドの草分けYNACの創立メンバー。NHKドキュメンタリー「伝説の超巨大杉を追う」捜索隊長。著作に「屋久島のコケガイド」(共著)「屋久島オープンフィールドミュージアムガイドブック」(共著)
屋久島の魅力は自然だけではなく歴史にもあります。今回はかなり古い時代のお話ですが、遣唐使たちが唐と日本を行き来していた時代に、何が起こったか? 屋久島とどんな関わりがあるのか? そんな内容を屋久島大学の主催者でもある小原比呂志さんにお話しいただきました。豊富な余談とともにお楽しみください!
- 動画版
- テキスト版(準備中)
※動画のどこでどんな話をしているか簡単な概要をまとめています。詳細な内容はぜひ全編をご覧ください。
本日のプログラム
- 遣唐使と屋久島の関係
- 小野妹子
- 吉備真備
- 鑑真
講義スタート 08:25
- フェリーから遣唐使が見た風景を見てみる
- 中国の海図に書かれた白雲島の文字
- 矢筈岳は遭難から船を救う目印―西郷隆盛も助けた!
- 琉球船もやってきた
- 帆柱は屋久杉?
- 安房には遣唐使船も来た?
- 今から1,000年以上前の屋久島の海と貝
- 余談……雲南で見た貝殻
- タイで見たヒカゲノカズラ
- 貝の交易ルート/貝札と種子島
- 貝輪/貝匙と枕草子
- 奄美の夜光貝と平泉中尊寺の螺鈿
- ヤクゲー、ヤクガイ、それが夜光貝に?
「ヤク」の登場 32:56
- 遣隋使 小野妹子の時代にヤク(夷邪久)初めて登場
- 日本書紀、続日本書紀にも字を変えながら「ヤク」(屋久島)が登場、種子島、奄美も
- さまざまな「ヤク」の字と琉球の関係
富山県作成の「日本逆さま地図」 39:10
- 大陸から見た島々――日本
ヤクの語源諸説 41:55
- アイヌ語/チベット/ユーラシア/南米 それぞれにヤクに似た言葉がある
- ヤク=水のこと 屋久島の由来??
遣唐使の船路 第10次遣唐使 45:20
- 第10次検討線のルートは?
- 第2次遣唐使船の遭難「さつまのまげたけしまのあいだ」で遭難との記述
- 遭難者が竹島に漂着していかだを作り生還
- 第8次遣唐使船 吉備真備、阿倍仲麻呂などのエリート船
- 吉備真備とはどんな人物?
- 唐からの帰国の船団が遭難、種子島へ
- 吉備真備と橘諸兄
第10次遣唐使船、復路 屋久島へ 56:46
- 再び乗船 吉備真備は阿倍仲麻呂とともに復路へ
- 2号船には鑑真 3号船には吉備真備
- 3艘は通常と異なる琉球ルートへ(1艘は遭難?)
- 3号船、2号船が1週間違いで屋久島へ
- 鑑真は一足先に九州へ
- 3号船は漂流し牟婁にたどり着く
- 1号船は南シナ海方向へ流される(阿倍仲麻呂の帰国叶わず)
吉備真備船(3号船)の寄港 1:06:47
- 当時の帆は何で作られていたか?
- 屋久島に遣唐使の痕跡があるか?
- トローキの滝になにがある?
鑑真来日 1:15:50
- 鑑真はなぜ日本に来た?
- 盲目になってまで日本へ
- 6回目にやっと来日
- 沖縄、屋久島、坊津そして太宰府へ
- 鑑真はどこに? 宮潟の浜(真偽不明)
- 遣唐使船寄港は一湊説もある
- 原 益救神社のはなし
733年から遣唐使船が来た734年前後の屋久島のできごと 1:25:13
- 加理伽(かりか)は歴史に名前が出る初めての屋久島人
- 735年には島名看板が建てられる!
「そういえば、歴史の時間に名前を聞いたよね」程度の知識しかなかった遣唐使船、鑑真、吉備真備、こうした人々が海を渡り、遭難したり漂着したり……そんなドラマが映像で浮かぶような講演でした。
小原さんによる屋久島の歴史講座は次回も続きます。お楽しみに。
順次公開予定です。しばらくお待ちください。